コンプレックスこそパワーの源

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02 /18 2013
植村直己にみる行動原理

みなさんは植村直己を認識する場合、冒険家とか、登山家とかで認識していますね。

彼の著書を読んでなんとすごい人だろうと思いますね。しかし彼のスタートを知る私としては、

そんな一面的な見方では、人いうのは認識できないのです。

彼は明治大学を卒業しても、就職口がなかった。周りの同級生は、みんな就職していくのに

自分だけは置いて行かれていたのです。決して会社勤めが嫌いというのではなく、さりとて

積極的でもない、すなわち、社会に適応できない自分というのが、重くのしかかって

いたのです。高度成長期の折、山岳部の仲間はみんな企業戦士となって意気揚々と頑張っている。

たまらず彼は日本を飛び出して単身アメリカに渡ったのです。ほとんど逃避行のような

状況だったのです。そうした彼は食器洗いや、綿の摘み取り作業、、、すなわち黒人が行う

最も過酷な作業の中で、変にに安心を見出しているのです。ヨーロッパでも山小屋の仕事です。

持って生まれた社会へのコンプレックスというのが、社会の底辺にいることで気が落ち着く。

そうしてためた金で、アマゾンやヒマラヤへと出かけるのです。そうしてそこで命がけのことを

繰り返すのですが、通常の人間では理解できないと思うのですが、、、

普通なら、ためたお金できれいな自然を見てよかったなあーと帰ってくるのでしょうが、

ギリギリのところで命のやり取りをして危険にさらされながら初めて自分が生きている、この自然界

の中で自分の存在を確認しているのです。コンプレックスが強い人間ほど山に出会うとこういう

ことになります。社会での不適応はこれすなわちダメ男なのです。しかしこれでは人間は生きては

いけません。必ずや、自分の存在を確認しなければ人間としては生きてはいけないのです。

このはけ口がない人ほど今でいううつ病にはまり込むのでしょう。

日本に帰ってきても待ち受けるのは、厳しい社会です。彼は再び追われるごとくまた山へと旅立つ

わけです。これは植村直己に限られたものではありません。それで幾人ものアルピニストは命を

落としました。

彼の講演を聞いていても、何の迫力もありませんし、よし!自分も頑張ろうというような気持ちも

わきません。そこに立っているのは、適応できない一人の山男なのです。そうした彼にもスポンサー

が付き始めます。おおきな山行を行おうと思えば資金が必要です。仕方のないことですが、

自分のレーゾンデートルが、スポンサーのための冒険と変わっていくのです。ここに彼の

冒険が変質しました。彼は最も苦しんだのはここなのです。昨今の極限のアルピニストは、

スポンサーとは一線を画しております。それが自分の山をゆがめてしまうからです。世界トップ

クライマーの山野井泰史夫婦はまさにそれです。自分の金で出かけるのです。

コンプレックスが大きくなればなるほど、彼の冒険は過激さを増してゆきました。気力や技術と

コンプレックスとは関係ありません。彼のモチベーションはコンプレックスだということなのです。

技術はあとからついてきます。

遅くして結婚した彼は本当にその家庭を守ることと自分の冒険とのバランスに又苦しんだと思います。

あくまで心優しい彼は家庭のはざまに落ちたことは間違いありません。公子さんとの短い生活に

おいて彼は家庭をどう見ていたのだろう。むしろ公子さんのほうが彼に母性本能をかきたてられた

のではないのだろうか。あれほど内気でコンプレックスの強い男は、家庭なんかを望むはずもない

と思ったのだが。

世界でも類い稀なる冒険を繰り返してマッキンレーに消えた植村直己。彼の本当の姿はこうだった

のである。

そうしてマッキンレーの白い峰こそ彼の永遠のの逃避行となったのである。
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無如(むにょ)

蒜山在住  

読書と山スキーとバイク