今の日本人研究

政治  経済  社会
10 /03 2017
普通の国であれば 北チョーセンや シナの侵略 に関してデモが起きたり騒動が起きるのであるが、核ミサイルになりえるものが日本上空を飛び越えても何にも反応をしない。それどころかカケがいい、モリがいいかを国会で論議している。それを平和ボケと書かれるし、私もそう書いていたが、ここまで来てなにも反応を起こさない日本人というのをもう少し別の観点から見直さないと理解ができないと思う。いまの社会の中堅の人たちの生まれて育った環境、そうして私たちの時代の日教組教育における日本全否定。まとめてみれば 
日本を否定すること、
日本に独立の意思を持たさない教育 
経済発展に傾注させること、
言葉狩り、モラトリアムをいわゆる日本の左翼、アメリカともどもが植え付けたその成果なのだろう。そもそも豊かであれば 独立自尊なんという意思は働かないのだ。 十分食べて、小さな家族が幸せに暮らしていけるのであれば、そういう世界もあってしかるべし、アメリカの意図と 左翼日教組の教育と日本人感情が相互作用して今の社会を作り上げたに違いない。その中には人間は戦いの中で国を作ったという考えが欠落してる。実際70年にもなれば戦争をしないで一生を暮らしていけたのだ。内乱もないまま暮らしてこれたのだ。戦う、国を守るという概念が全く育っていない。育っていない人間に北チョーセンの危機を唱えたところで 反応できないのだ。わたしなら 瞬間湯沸かし器で国のことを考えるが、今の日本人においてはよりどころとなる国家概念が育っていないのだ。だから危うくなれば安全なところへ逃げるという、私たちや私どもの先人が聞いたら腰を抜かすことを平然と言ってのけるのであろう。彼らにとって重要なのは他国の侵略ではなくてカケモリが象徴している通り、日常生活における好き嫌いしか興味の対象にならないのだ。むしろ国家観を持った安倍総理なんというのは、わずらわしいのであろう。国家間より 倫理観なのであろう。昔の政治家はほとんどと言っていいほど、また明治維新のころもあわせて、妾は持っていた。しかし今や妾を持ったらそれは仰天動地、国会がひっくり返る。これが象徴している。妾を持った人間が国を支えていたのに、今や妾を持てば許されないのが政治の世界なのだ。又妾(めかけ)という言葉さえも禁語となるや何おかいわんや。要するに 経済発展の教養ばかり身に着けて他を知ることを抑え 湯赤さのみを追求した結果の民族ということになるであろう。
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無如(むにょ)

蒜山在住  

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