ルーツ

山  バイク、旅行、飲食
09 /22 2017
いそがしくてあれ以来手も付けられないでいるけれど、私の先祖のことに関してはいつも頭の隅から離れない。曾祖父の嫁であるちかという女性が頭からはなれない。佐山傳四郎の次女である。。文化X年の出生である。武家であることは違いがないけれど、姫路市的形の在である曾祖父は、的形を動くことがない。とすれば、姫路藩から派遣された武士であるが、そのようなところへくる武士というのはどう考えても足軽に近い立場のものではないのか。おそらく困窮武士ではないのかと思うのである。もう一つ。。的形のいとこの家が取り壊しの時に、尋常ではない造り、すなわち堅個な建物で当時の解体業者が壊すのがもったいないぐらいの建物であったということだ。その家は私も何度となくいったことがあり、素晴らしい家であったとの記憶がある。ただ、集落の一角であり、裕福ではあったけれど地主とかそういう風な地位のある所ではない。当時の結婚はほとんど同じ階層で行われていたことであるから曾祖父のころは豊かであったのだろうか。従って何らかの理由でちかという女性が嫁ぐことになったのか、ここが不思議なのである。武家が百姓に嫁ぐということがあるのだろうか。彼女は最後は大正まで生きた。父親であれば祖母にあたるであろうから知っていたであろうけれども、もう家系はみんななくなってしまっている。然しそのあと我が家は衰退をたどったことは、子供ながらに聞き及んでいる。母方も貧困家庭の中から苦労してそうして夫婦となった。見合いであったが、すぐさま応召されてそれからは音信も途絶えた。どこかの戦地でなくなっているのだろうと思っていたが、終戦後生き残った父親が母を訪ねてきた。当時母親は芦屋での女中奉公をしており、その縁戚の人との縁談が進んでいたが、何をどう間違ったのか、結果この父親を選んだのだ。
さて話を戻して、栄枯盛衰を小説仕立てにしたいのだがちかという女性像がはっきりしない。菩提寺を訪ねた。法華宗のそのお寺はもう坊主自体がサラリーマンと同じで入れ替わりが激しく当時のころからの僧侶の家が続いているというのではないのだ。さてさて。。。的形のいとこを訪ね回ればいいのだろうけれども、ことはそう簡単にはいかない。。。そういうことをいやがる人もいると思うのだ。併し市役所も言っていたが、文化文政の人の戸籍が残っているということがこれまた珍しいことで、其れゆえ私の興味も尽きないのである。
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無如(むにょ)

蒜山在住  

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